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渥美清の死因は転移性肺がん|68歳で亡くなるまでの歩みと最期

渥美清さんの死因は、肝臓がんが肺に転移した「転移性肺がん」です。1996年(平成8年)8月4日、68歳で亡くなりました。最後の出演作は、前年の12月に公開された『男はつらいよ』第48作『寅次郎紅の花』です。

  • 死因:肝臓がんが肺に転移した「転移性肺がん」
  • 亡くなった日:1996年(平成8年)8月4日、68歳
  • 最後の出演作:第48作『寅次郎紅の花』(1995年12月23日公開)
  • 最期の言葉:最後の入院の前、黒柳徹子さんの留守番電話に残した「私は、もうダメです。」
  • 2026年は没後30年にあたります

2026年8月4日で、渥美さんが亡くなってから30年がたちました。

この記事では、病気の歩み、病気を抱えながら演じた晩年の寅さん、最期の言葉、密葬と公表、お別れの会と国民栄誉賞までを、資料にもとづいて順に振り返ります。

資料によって内容が異なる点は「諸説あり」とし、確かめられなかったことは断定していません。引用した本や記事は、記事の最後の「参考資料」にまとめています。

渥美清の死因は「転移性肺がん」――もとは肝臓がん

肝臓がんの肺への転移と、死因が転移性肺がんと表記される理由の図解

渥美さんの最終的な死因は、転移性肺がんです。もとになったのは肝臓のがんで、1991年にがんが見つかっています。肺への転移がわかったのは1994年とされますが、転移の時期は資料によって異なります。

資料によって「肝臓がん」と書かれたり「肺がん」と書かれたりするのは、このためです。

どちらか一方が誤りというわけではなく、「肝臓がんが肺に転移した、転移性肺がん」と考えると、両方の記述がつながります。

亡くなった場所は、東京都文京区の順天堂医院とされています。

病名はごく限られた人にしか明かされておらず、亡くなったことが公表されたのは、家族だけで見送りを終えた3日後でした。

渥美清さんの基本データ

渥美清の本名、生没年月日、享年68歳、死因、最後の出演作の一覧

項目内容
本名田所康雄(たどころ やすお)
生年月日1928年(昭和3年)3月10日
出身東京市下谷区(現在の東京都台東区)。その後、板橋で育つ
亡くなった日1996年(平成8年)8月4日
享年68歳
死因転移性肺がん(肝臓がんが肺に転移)
最後の出演作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(第48作、1995年12月23日公開)
没後の受賞国民栄誉賞(1996年9月3日)

渥美清さんの病気の歩み(年表)

1954年の肺結核から1996年の死去までをたどる渥美清の病歴年表

渥美さんは、若いころから大きな病気を経験していました。がんがわかる前の結核から、亡くなるまでの流れを年表にまとめます。

年できごと
1954年肺結核で右肺を切除。埼玉県春日部の療養所で療養生活を送る
1956年胃腸を悪くして3か月入院。これ以後、お酒・タバコ・コーヒーをやめ、節制を続ける
1989年12月第42作『ぼくの伯父さん』公開。このころから、体調に配慮した撮影になっていく
1991年肝臓がんが見つかる
1994年肺への転移がわかったとされる
1995年12月第48作『寅次郎紅の花』公開。これが最後の出演作になる
1996年7月入院し、肺の手術を受ける
1996年8月4日転移性肺がんのため死去。68歳

右肺を失ってからの渥美さんは、体をいたわる生活を徹底していたことで知られます。

映画の中でお酒を飲む場面でも、実際には口をつけない演出にしていたと伝えられています。

「1970年代にがんの告知を受けていた」という説について

インターネット上には、最初のがんの告知は1970年代半ばだったとする記事もあります。

ご家族の回想をもとにした推測で、時期を確かめられる資料は見つかっていません。

この記事では、複数の資料で一致する「1991年に肝臓がん」を基準にしています。70年代の告知は「そういう説もある」という程度に受け止めておくのがよいでしょう。

病気を抱えて演じた晩年の寅さん(第42作〜第48作)

座り姿の増加、挨拶の省略、マフラー、撮影時間短縮で渥美清を支えた演出の変化

シリーズの終盤、渥美さんは病名を周りにほとんど明かさないまま、寅さんを演じ続けました。

山田洋次監督とスタッフは、物語の組み立てや撮影の進め方で、渥美さんの体への負担を少しずつ減らしていきます。ここでは、資料で伝えられている配慮を作品ごとに見ていきます。

第42作『ぼくの伯父さん』のころから:座って演じる場面が増える

1989年12月公開の第42作『ぼくの伯父さん』のころから、寅さんが立って演じる場面は減っていきます。

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撮影の合間の渥美さんは、トランクに腰かけていることが多かったと伝えられています。

物語の中心も、甥の満男と泉の恋へと移っていきました。

年2本だった新作は、第43作(1990年)から年末の年1本になります。寅さんが満男を見守る役回りになったのには、渥美さんの体調への配慮もあったとされます。

第44作『寅次郎の告白』のころ:スタッフへの挨拶を省きたいと頼む

1991年12月公開の第44作『寅次郎の告白』のころ、渥美さんは山田監督に、撮影所でのスタッフへの挨拶を省かせてほしいと頼んだとされます。

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山田監督と黒柳徹子さんの共著『渥美清に逢いたい』などで語られている話です。

肝臓がんが見つかった1991年と重なる時期の話です。

第45作『寅次郎の青春』のころ:首もとのマフラー

1992年12月公開の第45作『寅次郎の青春』の撮影の終わりごろから、渥美さんは首もとの衰えを隠すためにマフラーを巻くようになったと、小泉信一さんの『スターの臨終』は伝えています。

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見る側にとっては、いつもの寅さんの旅姿のひとつです。その裏に、寅さんの姿を最後まで崩さないための工夫があったことになります。

第47作『拝啓車寅次郎様』:主治医は出演を不可能と話していた

1994年12月公開の第47作『拝啓車寅次郎様』について、主治医は出演は不可能だと話していたと伝えられています。肺への転移がわかったとされる年の作品です。

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この年、渥美さんは付き人の篠原靖治さんにだけ、自分ががんであることを打ち明けたとされます(篠原靖治さんの著書による)。

第48作『寅次郎紅の花』:撮影は昼過ぎまで

渥美清の最後の出演作『寅次郎紅の花』と被災地での最期の台詞をまとめたイメージ

最後の出演作となった1995年12月公開の第48作『寅次郎紅の花』では、体調を考えて、撮影はおおむね午前9時から午後1時ごろまでに限られたと伝えられています。

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山田監督はのちに、お別れの会の弔辞で、この遺作に出演できたのは奇跡に近いと医師が言っていた、という趣旨のことを述べています。

奄美の加計呂麻島でリリーと暮らす寅さんと、泉の結婚に揺れる満男の二つの恋が描かれる作品です。

松竹の公式作品ページは、阪神・淡路大震災の被災地に立つ寅さんの「皆様、本当にご苦労様でした」という言葉が、俳優・渥美清の最期の台詞になったと紹介しています。

晩年の7作を、公開順に並べておきます。体調のことを知ったうえで見返すと、寅さんの座り姿や、満男にかける言葉の重みが違って感じられるかもしれません。

渥美清さんの最期の日々と最期の言葉

実現しなかった第49作『寅次郎花へんろ』

幻の第49作『寅次郎花へんろ』の構想と1996年7月の入院を対比した図

第48作の公開後も、次の作品の準備は進んでいました。

1996年6月の下旬、渥美さんは東京・代官山で山田監督らと食事をしながら、次回作の打ち合わせをしています(日付は資料によって異なります)。

構想されていたのは、高知を舞台にした第49作『寅次郎花へんろ』でした。渥美さんは高知でのロケを引き受けたと伝えられていますが、この作品が撮影されることはありませんでした。

幻の第49作『寅次郎花へんろ』

7月の入院と手術

1996年7月、渥美さんは入院して肺の手術を受けました。山田監督の弔辞や、付き人だった篠原靖治さんの著書によると、手術後の経過は思わしくなかったといいます。

入院中には、夜中にいろいろな人へ電話をかけていたことを、倍賞千恵子さんが著書『お兄ちゃん』で振り返っています。

黒柳徹子さんの留守番電話に残した言葉

最後の入院前に黒柳徹子の留守番電話へ残した「私は、もうダメです。」という伝言

渥美さんは、長く親しかった黒柳徹子さんを「お嬢さん」と呼んでいました。

黒柳さんの著書『トットあした』によると、最後の入院の前、黒柳さんの留守番電話に「私は、もうダメです。」という伝言が残されていました。

伝言は、黒柳さんに「元気でいてください」と伝えて結ばれていたそうです。亡くなる間際の言葉ではなく、最後の入院の直前に残された伝言です。

なお、Wikipedia の脚注は、山田監督との共著『渥美清に逢いたい』から、少し違う言い回しを紹介しています。

家族に託した願い

渥美さんは家族に、衰えた姿(亡骸)を他人に見せないこと、葬儀は身内だけで行うこと、世間に知らせるのは荼毘に付してからにすることなどを伝えていたとされます(篠原靖治さんの著書ほか)。

最期は、その願いどおり家族だけで見送ったとされます。

病気をほとんど人に明かさなかった渥美さんらしい、最後の願いでした。

密葬と、3日後の公表

1996年8月4日の死去、家族だけの密葬、8月7日の公表の流れ

渥美さんの願いのとおり、ご遺体は家族の手で東京・荒川区の町屋斎場で荼毘に付されました。

山田監督が知らせを受けて駆けつけたときには、すでにお骨になっていたといいます(監督に連絡が入った日は、資料によって8月5日と6日に分かれます)。

松竹が渥美さんの死去を正式に発表したのは、亡くなってから3日後の1996年8月7日の午後でした。

共演者にとっても突然の知らせで、佐藤蛾次郎さんは、通夜も葬儀もすでに済んでいたと聞いて驚いたと語っています(デイリースポーツ、2015年8月4日)。

お別れの会と国民栄誉賞

1996年8月13日のお別れの会と9月3日の国民栄誉賞をまとめた図

1996年8月13日、松竹大船撮影所で「お別れの会」が開かれました。

祭壇は、柴又の江戸川の土手をかたどったものだったそうです。

参列したファンは2万人から3万人余り(資料によって異なります)で、列は大船駅まで続いたと伝えられています。

弔辞は、山田洋次監督、倍賞千恵子さん、浅丘ルリ子さん、関敬六さん、脚本家の早坂暁さんらが読みました。

同じ年の9月3日、渥美さんには国民栄誉賞が贈られました。

亡くなった後の受賞で、1996年の時点では、俳優として長谷川一夫さんに次いで2人目でした。この年には、柴又名誉町民賞も受けています。

渥美清さんが亡くなった後の『男はつらいよ』

渥美清の過去映像を生かした1997年の特別篇と2019年の『お帰り 寅さん』

渥美さんが亡くなったことで、『男はつらいよ』の本編は第48作で幕を閉じました。

その後に公開された2作は、どちらも渥美さんが新しく撮影に加わった作品ではありません。

没後1年の1997年11月22日には、第25作『寅次郎ハイビスカスの花』の映像を修復し、新しく撮影した場面を加えた第49作『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』が公開されました。

2019年12月27日には、第1作から50周年を記念した第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開されています。

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渥美清さんの死因に関するよくある質問

渥美清さんは何歳で亡くなりましたか?

68歳です。1928年(昭和3年)3月10日に生まれ、1996年(平成8年)8月4日に、転移性肺がんのため亡くなりました。
渥美清さんがご存命なら、2026年時点で何歳ですか?

2026年3月10日の誕生日で98歳になっていた計算です。2026年は、亡くなってから30年の年にもあたります。
渥美清さんのお墓はどこにありますか?

小泉信一さんの『スターの臨終』によると、お墓は東京・新宿にあり、墓石には本名の「田所康雄」が刻まれています。お寺の名前は、当サイトでは確かな資料で確認できていないため記載していません。
渥美清さんはタバコやお酒をたしなんでいましたか?

1956年に胃腸を悪くして入院してからは、お酒・タバコ・コーヒーをやめていたとされます。売れない時代に小野照崎神社で「仕事に恵まれたらタバコを断つ」と願をかけた、という言い伝えもあります。
最後の出演作と、最後のセリフは何ですか?

最後の出演作は、第48作『寅次郎紅の花』(1995年12月23日公開)です。松竹の公式作品ページでは、阪神・淡路大震災の被災地に立つ寅さんの「皆様、本当にご苦労様でした」が、俳優・渥美清の最期の台詞と紹介されています。
渥美清さんが亡くなった後、シリーズの新作は作られましたか?

第49作『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(1997年)と、第50作『お帰り 寅さん』(2019年)が公開されました。どちらも、渥美さんが出演した過去の映像に、新しく撮影した場面を組み合わせた作品です。

まとめ:作品の中の渥美清さんに会いに行く

没後30年を迎え、映画の中で会える寅さんを描いたイラスト

渥美清さんは、肝臓がんが肺に転移した転移性肺がんのため、1996年8月4日に68歳で亡くなりました。

病気をほとんど明かさないまま、第48作まで寅さんを演じきり、最後は家族だけで見送られたとされます。

没後30年の今も、渥美さんの寅さんには作品の中でいつでも会えます。晩年の作品から見返すのも、第1作の若々しい寅さんから順にたどるのもおすすめです。

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参考資料

本文の事実の確認に使った資料を見る

本文の事実は、次の資料で確認しました(Webページは2026年11月6日に閲覧)。書籍の一部は、Wikipedia の脚注や記事中の抜粋を通して内容を確認したものです。

書籍

  • 山田洋次・黒柳徹子『渥美清に逢いたい』(マガジンハウス、2024年)
  • 黒柳徹子『トットあした』(新潮社、2025年)
  • 小泉信一『スターの臨終』(新潮新書)
  • 篠原靖治『生きてんの精いっぱい 人間・渥美清』(主婦と生活社、1997年)、『最後の付き人が見た 渥美清 最後の日々』(祥伝社黄金文庫、2019年)
  • 倍賞千恵子『お兄ちゃん』(廣済堂出版、1997年)
  • 日刊スポーツ新聞社文化部編『寅さんは生きている』(朝日ソノラマ、1997年)
  • 吉村英夫『「男はつらいよ」の世界』(集英社、2017年)

Webページ

シリーズ全50作の公開順・公開日・マドンナは、「男はつらいよ全作品一覧(全50作)」で一覧にしています。

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